top of page

猫間川の面影を求めて 寺田町・みなみ酒店

  • 新山ひろし
  • 2015年7月3日
  • 読了時間: 2分

かつて、猫間川という川が大阪の街を流れていた。「猫間」と書いて「ねこま」川と読む。一番初め、私は「猫魔」と間違えて読んだ。怪しい名だと思った。そして、魅かれた。この川は、上町台地の田辺あたりの高地を水源として西に流れ、河堀口から寺田町へと向かう、そこから上町台地にヘリに沿って北上し、大阪城の東で寝屋川に合流する。大阪城付近では、あのアパッチ族が猫間川を渡り砲兵工廠跡に潜入し、戦災を受けて放り出したままになっていた鉄屑を盗んで金儲けをしたことがあった。そのアパッチの闇夜の「盗み」は梁石日の小説『夜を賭けて』、開高健の小説『日本三文オペラ』に濃密に描かれている。しかし、いま、猫間川は暗渠となり、川跡の下を流れているらしい。どのくらいの水の量なのか知らないが、その川跡をたどり、幻の川音を聴いてみたいと思った。・・・そんなことを考えていたら、生野区の依頼で「生野区歴史ビデオ」を制作することになり、その映像の企画会議で、僕は「幻の猫間川を映像で再現」してみることを提案した。そのプランが採用されて、猫間川跡を一人の少女が自転車に乗って辿るという作品を作った。彼女の辿った川跡がそのCGで水が流れていく・・・その映像には自分で驚き嬉しくなった。このように猫間川に縁があったのだが、ある時、その川跡のゆるやかにカーブする場所に飛び切りの角打ちがあるのを知った。以前には見落としていたようだ。その店は寺田町にほど近い「みなみ酒店」である。店のまん前を猫間川の川筋がうねっている。気っぷのいい、無口な主人に猫間川の話を振ると、「おれが子供の頃は川はあったけど水はもう流れてなかったよ」という。そして、俄然話に乗ってくれた。聞けば歴史が好きという。そんなことで生野の街の話を一渡りしたのだが・・・話が猫間川の由来の話に続いた。・・これは、どうやら「こまかわ」の「根」に当たるからではないかと思える。駒川は、針中野あたりを北に流れているが、あれはもともと「高麗川(こまがわ)」だという。たしかに、渡来人を祖に持つ針中野あたり、酒君塚公園は古墳であり、仁徳期に新羅からやってきた鷹匠の墓だという。渡来人「田辺史」との関連も見逃せない・・と、そんな感じで、すっかり幻の川の流れの水音を聴こうとしたわけだが、想像力は酔うほどに高まっていくもので、酒を飲むことの喜びをジンジンと感じた。ということで、今夜も「みなみ酒店」で呑んだくれ、猫間川の幻を追いかけている。おしまい

大阪市生野区西4−13−1  環状線「寺田町」駅の北東3分

電話06−6731−7264

営業時間16〜20  日祝休

かんたち通信・KANSAI立ち飲み倶楽部


 
 
 

Comments


注目記事
最新記事
タグで検索
アーカイブ
フォロー
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page